このページの最終更新:26th Nov 1998

クローゼと技巧練習

クローゼの遺産

クラリネットを吹いている人なら、クローゼという人のことは聞いたことがあると思う。 クラリネットの発展に大きく寄与した人でもあるし、様々な指導書や教則本を残した人でもある。 その功績は賞賛するに充分値するといえる。

クローゼの残した遺産は、大きくいってふたつある。一つは、クラリネット自体の 大幅な改良である。詳しくは別項に譲るが、 フルートに新しく採用されたシステムをクラリネットにも応用し、運指を整理した 現代のクラリネットを作り出したのである。
もう一つは、その使いやすくなったクラリネットでの表現をさらにバックアップする 様々な技巧の練習法を確立したことである。彼自身もすばらしい指導者だったのだが、 残念ながら、その指導内容はあまり伝わっていない。しかし、彼の残した膨大な数の 教則本を見れば、彼のクラリネットに対する真剣さがかいま見えると思う。

しかし、そこで疑問に感じるのは、その彼の遺産を受け取った我々の、それらに 対する接し方である。クローゼの教則本を開いてみると、だいたいは真っ黒な楽譜が かかれているものである(少なくとも、本屋で見かけるものはそうである)。
それ自体は、それらの教則本の目的が、奏者の技量向上にあるはずであるから、 別に非難されるような事ではない。疑問を抱かせるのは、現代のクラリネットを 指導する立場にいる人の多くが、これらの技巧練習それ自体を目標とするかのような 指導をしている事である。

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楽器を吹くわけ

そもそも、僕たちがなぜ楽器を吹くようになったのかを考えてみてほしい。 直接のきっかけは、例えば吹奏楽部に勧誘されたとか、たまたま家に楽器があったとか、 色々あるとは思うが、ごく一部の例外(消防音楽隊などでは、上司の命令で吹かざるを 得ない事もあるらしい)を除いて選択の権利があったはずである。
別にクラリネットではなくても良かったはずだし、あるいは楽器を吹くことを やめても良かったはずなのだ。それにも関わらず楽器を吹くことを選択した理由は 何だったのか。人によって違うとは思うが、少なくとも楽器の技術を高める事自体が 最終目標の人はいないはずである。たいていは、ステージで格好よく演奏したいとか、 何か憧れの曲を吹きたいとか、そういったところではないだろうか。

そのはずなのに、クラリネットのレッスンにいってみると、クローゼの何番が できたとかできないとか、そういったレベルの話題に終始してるような気がするのである。 もちろん、技巧練習はいらない、などといっている訳ではない。ただ、技巧の優劣が全て ではないという事を再確認しておきたいのだ。
たとえ早いフレーズを吹くのが苦手であっても、演奏会でクラリネットを吹くことはできるし、 演奏会のコンマス(コンサートマスター)だってできるのだ。

この項では、技巧練習が全てではないと改めて言いたいのである。他にも、よりカッコよく 楽器を吹いて、素晴らしい演奏会にするために必要な事はまだまだあるはずなのだ。 それは忘れてはいけないのだ。

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なぜこだわってしまうのか

では、なぜ技巧練習といえば指回しにこだわってしまうのか。その原因の一つに クラリネットというパートが曲中でどのような扱いをされているかに関係があると 考えられる。
現在、クラリネットを使う演奏形態は吹奏楽やオーケストラが主流である。 もちろんジャズバンドなどでも使うことはあるが、なぜかさほどメジャーではない。 これらのバンドを構成する楽器群の中では、クラリネットは速いパッセージが 得意な楽器になってしまう。これは相対的な問題で、ピアノやハープ、ギターなどの 方が遙かに運動性には富んでいるのだが、これらの楽器は吹奏楽では補助楽器で しかないし、オーケストラでも主役に持ってこれるような柔軟性は持っていない。
その結果、速いパッセージに非常に不利なオーボエや金管楽器との比較の結果として 複雑なパッセージに有利(となってしまう)クラリネットの楽譜はそういう音符で いっぱいになってしまう。となれば、演奏会で曲を仕上げるためには、そのパッセージを 大過なく仕上げることが必要になってくる。だから、クラリネット吹きにとって 指を回す技巧練習の全体に占めるウェイトが大きくなってしまうのだ。

たしかに、クローゼが楽器の機構を大幅に改良したとはいっても、もともと クラリネットの発音機構は複雑かつ微妙で、同じ運指で複数の音が出てしまうくらい のものなのだから、運動性については過大な評価をされているといってもいい。 彼はそういう過大評価を予想して、数々の技巧練習の資料を残したのではないのだろうか。
一度、その視点でクローゼの残した教則本を眺めてみてほしい。きっと今までの、 運指技術至上主義的な考えがばからしく思えるだろう。ただ、このことが直ちに 運指技術が必要ないといっているのではない。自分の表現したいことがうまく 表せるような技術として、運指は大事な一角をなしているのは、揺るぎようのない 事実である。用は、様々な分野の技術をいかにバランスよく持っているかが 重要なのである。
クローゼの残した遺産はあまりにも大きすぎて、現代の我々は消化不良を起こしたり、 誤った解釈をしてしまっているのかもしれない。やみくもに練習するのではなく、 常に客観的にみながら練習をしないといけないのかもしれない。

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