このページの最終更新:31th Aug 2001

続・クローゼと技巧練習

クローゼは何を想って教則本を残したのか

非常に大事な話だと思うので、もう少し掘り下げてみたいと思う。

クローゼの教則本は、クラリネットを吹く人なら一度は見たことがあるだろうし、 本格的にクラリネットを練習している人の多くは、自分用の教則本を持っている場合も 多いだろう。そして、そのほとんどのページには「真っ黒」という表現が本当に ピッタリといえるような、複雑な跳躍の楽譜が延々と示されている。
まだ楽器を手にして間もない人がこのような楽譜を見たら、どう感じるだろうか。 おそらく、心から嬉々として取り組む人は少数派だろう。ある程度経験をつんだ 奏者にとっても、これをすべて自在に吹くにはかなりの鍛錬が必要だろう。

ここで一つ考えてほしいことがある。なぜクローゼは、このような初心者のやる気を そぐような、あるいはそれ自身を吹くために多大な労力を必要とするような、複雑な パッセージばかり集めた教則本を数多く残したのだろうか。なぜ彼は、もっと初心者の ためになるような基本的な内容の教則本を書かなかったのだろうか。

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楽器の弱点をフォローできるか

クローゼが指導者としても活躍したということは前項でも触れているが、 その内容があまり残っていないため、彼がどのような人を相手に指導をしていたのかは あまりはっきりしない。
しかし、当時の状況を考えると、今のように気軽に楽器を手にとって吹く、という訳には いかなかっただろう。ある程度の限られた人がクラリネットを吹き、したがって 初心者の数も相対的に少ない状態であったと推測される。であれば、クローゼが教えたのも、 初めて楽器を手にしたような人ではなく、ある程度楽器を吹きなれた人だったのだろう。

ここで、もうひとつ思い出していただきたいことがある。クローゼは、指導者であるとともに、 現在のクラリネットのキイシステムを、事実上完成した人であることを。(詳細は 略史を参照。)
この二つの事実を組み合わせると、このような推論が成り立つ。すなわち、クローゼが おもに教えようとしていたのは、自分の完成したベーム式クラリネットを中級者(この表現が ふさわしいかどうかは別として)が吹くときに、曲中などでつまずきやすいポイントを どう克服するか、ではないか、ということである。
そう思って教則本をもう一度眺めてみると、確かに運指が複雑になるような楽譜が比較的 多いことがわかる。それも、薬指や小指が連続して動くようなものや、複数の指が同時に動く 必要があるものが多い。
おそらくクローゼは、自分が完成したクラリネットをもってしても、難しい運指が多く 存在することを知っていたはずである。そして、その中でも特に実際の演奏でよく出現するような パターンを、技量を高めるための指標として教則本の形にまとめたのではないだろうか。

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クローゼの遺志を踏まえた練習を

では、クローゼがこれらの教則本をまとめ上げた背景や、そのときのクローゼの考えを 我々はどのように受け止めて、自分の練習に生かせばよいのだろうか。
まずもう一度繰り返しておきたいのは、前項でも強調したが 技巧練習そのものは最終目的ではない、ということである。もちろん、短期的な目標として クローゼのこのページをクリアする、というような目標はあっても構わない。しかし、あくまでも その続きに、クリアした結果得られた自分のスキルをもとにあこがれの難しい曲に挑戦するとか、 今度のコンサートの曲をより確実に吹くとか、さらに大きな目標があっての話である。

そして、もうひとつ挙げておきたいのは、ただ闇雲にそれぞれのパッセージを練習するのではなく、 その短いフレーズのどこが運指の要なのか、とかクローゼが何を気にしてこのパッセージを 載せたのか、といった事まで頭を回してみることである。もちろん吹きながら考えるのが 難しければ、まずじっくりとパッセージを眺めて考えればいい。
本当は曲中でも同じことを考えないといけないのだが、曲ではほかにも考えないといけないことが 山ほどあるので、なかなか難しい。しかし技巧練習に特化していれば、そういう余裕も 出てくるだろう。あるいは、技巧練習でそういうことをしっかり検討する習慣をつけることで、 実際の曲でも自然に気にするようになるとも言えるだろう。

いずれにしても、教則本をただ練習するのではなくて、作られた背景を知り、つくり手の気持ちを 読み解き、さまざまな角度から見つめることで、より有効に活用することができるはずである。 特にクローゼの場合、求められるレベルが非常に高いので、特に注意しないとうまくいかないであろう。 逆に、一つ一つのパッセージにこだわることで、大幅なスキルアップをするチャンスを 大いに秘めているとも言うことができるのではないだろうか。

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