このページの最終更新:29th Jan 1999

合奏の駆け引き論

気持ちを伝え合うこと / 音楽を高めるために

気持ちを伝え合うこと

合奏は独奏の集合ではない

私たちは、楽器を一人で演奏するという機会は比較的少数です。特にクラリネットをはじめとする 管楽器に代表される単音楽器の場合、メロディの独奏はあっても伴奏がつく場合が多く、 管楽器単独の独奏という機会は非常に限られています。
このことは裏を返せば すなわち、たいていの場合は二人以上の人間が集まって演奏をする形態が非常に多い ということを意味します。普段あまり意識しませんが、これは改めて考えてみると明らかです。

さて、独奏と合奏では何が違うでしょうか。もちろん楽器を演奏する人数が違うのは当たり前ですが、 それに従って生じる注意すべき点があります。それは、独奏を単純に重ね合わせても 完成された演奏にはならないということです。
音楽には、奏者の自由意志にゆだねられた部分がたくさんあります。たとえばテンポ一つをとっても 速度記号だけでは具体的なテンポは決まりませんし、rit.のかけ方も、絶対という 基準はありません。
独奏の場合、これらは奏者の自由意志によって決まります。 しかし、それを単純に重ねて合奏にすることはできません。一人一人のテンポの取り方が 違うからです。
事がテンポのことだけで済むのであれば、指揮者に合わせる、ということで解決できるかもしれません。 しかし、奏者の自由意志にゆだねられた部分はテンポだけではありません。音量や フレーズの感じ方など、挙げればきりがありません。
それら全てを、指揮者の合わせる、 ということだけで解決することは困難です。つまり、合奏には独奏の集合ということ以外の、 別の要素が存在するのです。

このページのはじめへ戻る

指揮者との意志疎通

大人数の合奏では、指揮者がたって全体のテンポを決めたり、その他の要素を調整していきます。 しかし、指揮者が指示したとおりに演奏するという事は、決してやさしくはありません。
大きな問題として、指揮者が思っているテンポや曲の雰囲気を、言葉で直接説明することが できないということがあります。私たちは普通、キーワードとなる複数の単語などを頼りに 意志疎通を図り、多くの部分をそれぞれの想像力で補っているのです。ただ、 あまりそのことを意識していないことも多く、指揮者がいくら説明しても指揮者の思うとおりに 奏者が演奏しないのを、指揮者の語彙力不足や、奏者の集中力がないと誤解していることも多いのです。
このことは、意志疎通を困難にする要因ではありますが、同時にお互いの感性・主張を 音楽に織り込むことができる要因でもあるのです。もし、指揮者の意志が完全に全ての人に 伝えられるのであれば、奏者の意志が音楽に入り込む余裕はありません。

残念なことに、このことを演奏面に生かしていることはほとんどありません。それは、 この事実が存在することがあまり周知されていなかったり、知っていてもさほど重要視しないからです。 しかし、これをうまく生かせば音楽をより深く複雑に輝かせることも可能です。
指揮者の意志をそのまま反映しただけの演奏は、確かに統一のとれた演奏になります。 一方で、どのパート・セクションあるいは個人をみても、金太郎飴のようになってしまいます。
それはそれで一つの形ではありますが、あまりに整然としてしまって面白味に欠ける音楽に なってしまう可能性をはらんでいます。また奏者にとってみれば、自分の感情を出すことが できないので、楽器を演奏しているおもしろさも半減してしまいます。

もし、指揮者の意志を中心に据えてしかも各自の解釈を音楽に織り込むことが可能であれば、 全体として統制のとれた中に様々な色が含まれる、深さのある音楽にすることができます。
問題は、指揮者の意志と自分の意志をどうすりあわせるかです。同じようなことを思っている場合は たいして問題ではないのですが、感じていることが違う場合、むやみに自分の主張を 織り込んでしまうと、全体の統一感を損なってしまいます。いかに全体の流れを阻害しない範囲で、 自分の感情を含ませるか、という微妙なさじ加減が要求されます。
弱ければ全体のなかに 紛れてしまって自分が不満ですし、強ければ指揮者が文句を言うことになるでしょう。 そのぎりぎり妥協点を探すのが、合奏の一つの目的ともいえます。
ところが、みんながこれをすると、今度は奏者同士で主張がぶつかってしまうことがあります。 それを調整し、音楽を高める方法を次に考えてみましょう。

このページのはじめへ戻る

気持ちを伝え合うこと / 音楽を高めるために