このページの最終更新:1st Nov 1998

練習の過程と音楽

音楽の奥深さ

以前から不思議に思われる事がいくつかあります。 そのうちのひとつに「へたなバンドでも感動し、上手なバンドでも心に残らない」 のはどうしてか、ということがあります。それが、最近いくつかのコンサートを 見に行くうちに何となく分かってきたような気がするので、ここでまとめてみたいとおもいます。
それは、一言でいえば「音楽の奥の深さ」だと思います。 一般的には、難しい曲や、裏の意味がさりげなくちりばめられた曲を奥が深いと いいますが、ここではそういう事を意味しません。もちろん、そういう使いかたが 間違っているというつもりは毛頭ありません。ここで意味する深さとは、曲を 創る段階での思慮の深さ、試行錯誤の回数などを漠然と指しているのです。

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音楽を創るということ

最近のバンドは、音楽をみんなで創るという事をしなくなった感じがします。 その元凶はコンクールだと思うのだが、それは別の記事に 譲ります。
音楽をみんなで創るというのは、非常に骨の折れる作業なのは事実です。一人一人が その曲をよく知っておかないといけないし、自分なりの解釈というか、自分の考えを持って、 しかもそれをみんなの前ではっきり表現できないといけないのです。さらに、他の人の 考えを聞いた上でおたがいに修正しながら、みんなが納得できる曲にしていく事になります。 その間にどれほどの苦労と、思慮と、駆け引きと、試行錯誤があるでしょうか。

最近のバンドでは、特にコンクールの様に時間がないくせに表面上の奇麗さだけが 求められるような場合、誰か強力な指導者の上意下達で、曲の構成から表現から、 一から十まで決めてしまう事が多い様に思われます。その方が時間もかからないし、 すっきりと曲をまとめることができるからでしょう。でも、そういうバンドの演奏に限って、 聞いたあとに何も感じないものです。「すっきりして、奇麗だったね」で終わりになるのはなぜでしょうか。

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見えない努力が見える音楽

その答えはおそらく、本番までの経過そのものに由来するのでしょう。 上で述べたような指導体制の場合、確かに音楽はまとめやすいけれども、一人一人は 明らかに受け身になります。指導者のいった通りにすればそれでよく、悩むのは 「いわれた通りにできない」という一点だけになります。
それに対して、みんなで曲を創っていこうとすると、様々な難問に出会う事になります。 練習方法から、曲の解釈から、色々なところに問題が待ち構えています。それらを一つ一つ 片づけていく必要があるのです。その課題をすべて乗り越えたなら、どれだけ力に なっているでしょう。また、そこまでした曲なら、愛着やこだわりが出て来るはずです。 それが音楽のなかににじみ出てくるのではないかと思うのです。

こういう事を考えてみてください。たとえば、庭に池を作る事を考えるのです。 小さくて単純な形の、自然の石や木で作った池と、複雑な形のプラスチックの池があって、 どちらも同じ予算で作ることができるとします。そのとき、どちらの方が見る人に いい印象を与えるでしょうか。いくら大きくて見栄えがしても、ただ「そんな感じがする」 だけのプラスチックの池は、たいして印象に残らないでしょう。たとえ小さくて 見た目の華やかさがなくても、その池の底にある物が(直接見えなくても)見ている人に 訴えかけてくるように思いませんか。それと似たところが音楽にもあるといえます。
ぜひ、できるだけたくさんの試行錯誤をして、様々な修羅場をかいくぐってほしいです。 それは、間違いなく演奏を陰で支えてくれるでしょう。

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