このページの最終更新:27th Aug 2002

信じるままに?

盲目は恋だけで充分!?

私達の周りには、普段あまり気にしていないけど、実はよく考えると判断が 非常に難しい、という事例が多くあります。たとえば「スワブは楽器の どちら側から通すのか」「クラリネットでビブラートは使ってよいのか」といった 具合です。この手の問題に共通するのは、いくつかの対立する説があること、 それぞれの説にもっともな根拠があることが挙げられます。そして一番大事で 一番大きな問題なのは、ある説に固執してしまう人が出てしまいやすい、 という事実です。

たとえば「完全5度の2音の周波数の比」のように、答えがひとつに 決まっていて、誰もが納得できるものであれば、難しい理屈を抜きにして 結論だけ覚えておいても特に問題はないでしょうし、むしろその方が 役に立つかもしれません。ところが、先ほど挙げたようにいくつもの 同じように根拠のある説が並立している場合はどうでしょうか。
自分が信じるとおりにするだけであれば、とりあえず他の人に迷惑を かけることは少ないでしょう。といっても、全く問題がないわけではありません。 また、ほかのひとに迷惑をかけてしまうこともあるのです。

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先達の言葉は大事だけれど…

まずはじめに、どうしてある説を盲信してしまうような状況が 発生するのかを考えてみましょう。
よくあるのは、初めてその問題に出会ったときに、一種類しか情報が 得られなかった、という場合です。問題に対してひとつの答えが得られたので 問題は解決か、その方向に向かいます。その結果、その問題に対する答えが 一通りに固定化されてしまうのです。そのあとで他の答えを見つけても、 問題の答えはすでにある一通りに固定化されているので、新しい答えを 妥当な解(のひとつ)として受容できなくなってしまうのです。
他にも、自分や先輩が必死になって見つけた答えを守りたい、という場合も あります。有名な人がそういった、という事実がきっかけとなることもあります。 いずれにしても、ある説を唯一と決めてしまって、他の要素を許容しない状態が、 盲信状態であるといえるでしょう。

では、ある説を盲信してしまうとどのような問題が発生するでしょうか。
一番問題となるのは、ある説に対立する要素が受け入れられなくなることで、 自分の音楽的な可能性を制限してしまう、ということです。ひとつの考えが すべての世界でもっとも有効である とは限りません。場面や状況に応じた もっと有効なものがあっても、それを受け入れられなければ、せっかくの可能性を 自ら閉ざしてしまうことになります。
また、このような状態で他人と議論しても、他の要素を受け入れることが 出来ませんから、議論が議論として成り立たなくなります。自分の信じるものを 押し付けあうだけの、ただの喧嘩になってしまいます。
そして、万が一その信じていた説になんらかの間違いがあったばあい、そのときの ダメージと、回復すまでに失うものは、計り知れないものがあります。

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見極める眼が求められている

けっきょく、いくつかの説が平行してあるということは、妥当といえる答えが 複数あるという事になります。これは、場面や条件によって最適な答えが 変わってくる、ということにほかなりません。あるいは、違った切り口から 問題を見ることで、新しい解が得られる可能性がある、ということでもあります。

自分が置かれている状態、あるいは自分が対面している問題の状況をしっかり 見極め、情報を集め、自分で納得するまで分析し考え、そのあとでも 新しい説を必要に応じて柔軟に受け入れる、そんな態度がもとめられて いるのかもしれません。

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