このページの最終更新:1st Nov 1998

コンクールの抱える問題


コンクールについて

コンクールには様々なものがあります。ここでは、吹奏楽コンクールのことを取り上げてみます。 吹奏楽をする人の中にはコンクール絶対信者もいますが、少し落ち着いて、違った側面から かんがえてみてください。

あまりよく分からない人がいるかもしれないので、コンクールについて簡単に触れておくと、 朝日新聞社及び全日本吹奏楽連盟と、その地方組織の連盟が主催する行事で、 規定時間内に課題曲と自由曲を演奏してそれを審査員が審査し、 金・銀・銅の3段階で評価するものです。現在、普通の編成は15分以内、 中高にある小編成(関西の場合)部門は自由曲のみ7分以内ということになっています。 地方大会は上位大会への予選を兼ねていて、金賞の団体のうちいくつかが 代表として上の大会に出場できるのです。

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コンクールと高校野球

コンクールはよく高校野球と比較されて「吹奏楽の甲子園」的な扱いを受ける事があります。 しかし、その実態は高校野球とは比べものにならないほど問題を抱えています。 それを無視してコンクールを賛美する空気がいまだ強いのが甚だ残念な気もしますが、 それらの啓発を含めて、以下にコンクールが抱える問題点・疑問点を述べていきます。

まず、音楽は競争の媒体たりえるか、という点から考えましょう。 高校野球の場合、様々な練習を乗り越えて試合に臨み、その結果勝ち進んだり 敗退したりしますが、同じ事が吹奏楽の世界で言えるでしょうか、その答えはNoです。
野球の場合は、試合の得点という形で優劣がはっきりします。もちろん試合の流れとか、運だとか、 実力以外の要素も多々ありますが、きちんと決まったルールにのっとって結果が判断されます。 ストライクゾーンの判定など微妙なところもありますが、基本的に誰が審判をしても 結果に大きな影響はないといえます。
ところが、コンクールの場合は、審査員は複数いますが、その個人個人の感性や好みによって、 全く同じ曲を聴いても評価は分かれてしまいます。もちろんレベルに大きな差があれば みんな同じ判定をする事になるでしょうが、だいたい同じようなレベルにあった場合、 審査員の好みが結果を左右してしまいます。これが果たして公正な勝負といえるかどうか。

次に、その勝負に臨むという姿勢についても考えてみましょう。 いくら高校野球が「正々堂々と勝負する」と言っても、バントで地道にランナーを送って、 相手のエラーやミスにつけ込んだチームが結局勝ちます。 本当の意味で正々堂々と勝負したチームは、確かに強いかもしれないけど、最強とはなり切れません。
吹奏楽の場合、それはもっと顕著になります。音楽を小さく、セコくまとめて、 奇麗だけどなんの面白みもない音楽を作って、それで審査員にこびを売るのが、 すなわちうまく審査員に取り入ったバンドが上の大会に行くのです。 それが音楽のあるべき姿なのでしょうか。

そして、音楽で勝負するという事が果たしてありうる音楽の状態か、という点も考えてほしいのです。 高校野球の場合、試合をして勝負する事は大事なプロセスであり、それ自体がひとつの目標といえます。 つまり、強くなって勝つことが目的となりえます。
ところが吹奏楽の場合、まず強いというのがどういう事なのかがはっきりしません。 演奏技術の事でしょうか、それとも表現技法の事でしょうか。そういう事を切り捨てて 優劣を強引につける事が、正しい姿とはとても思えません。

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音楽の真の楽しさとは

そして一番残念に思うのですが、コンクールがある事で、音楽の本当の楽しさ、奥の深さを 知らないままに吹奏楽の世界を去っていってしまう人が何と多いことか。 コンクールで毎年全国大会で優秀な成績を取る学校の指導体制は、強力な指導者が選曲からパート分けから すべて決めてしまい、一日中、休みも返上して練習にいそしんでいるところが多いのです。 その結果として、確かに全国大会で金賞を取り、CDにもなって、万々才という事になるのですが、 そうやって3年間頑張って残るものは練習の厳しさ、辛さだけでしょう。
音楽で自分を表現する事などとうてい許されないコンクール体制のもとで、 音楽が死んでしまっているのです。確かに、楽しいように演奏する事はできる、 でもそれが自分のものにはなっていない、演技の楽しさに過ぎないのです。 だから、自分の中に残りません。そうやって卒業と同時に解放された生徒たちが吹奏楽の世界に戻る事はないのです。

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あまり言いたくない話

その筋の人から、いくつか聞いた話があります。
例えば・・・(1)審査員が賞を決める基準は、最初の2分ほどである。 中盤から最後にかけて素晴らしい演奏をしても、それはほとんど評価されない。 強いて言えば、講評の用紙に「中盤部以降が素晴らしかった」とか書かれるくらいだ。
その理由は、出演する前から、審査員の頭にはあらかじめこのバンドはこんなところという 情報(過去の記録)があって、それと照らし合わせながら審査するからである。だから、突然 新しい学校が出場すると、そこの学校はかなり有利だったりする。また、ずっと上位大会に 出てるところは有利だし、悪い成績で甘んじているところはそう簡単にいい評価はもらえない。
(2)審査員と言えども序列があって、当然、連盟の役員より下になる人もいる。 そういう審査員は、上役に当たる人がいる学校にはかなりよい評価を与えてしまう。 で、毎年上位に顔を出す学校の指導者は、連盟でも重要なポストにいる事が多い。
など。これをどう考えればいいのでしょうか。あるいは、そういうコンクールに今の状態で 向かい合ってもいいのでしょうか。

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世の中のクラ吹きへ

かくいう私(所長)も、OBとして高校の吹奏学部のコンクール指導を行ってきました。 でも、基本的には選曲から指揮者選びから練習日程を決めたり楽器運搬の手配をするところまで、 1から10まで生徒自身で決めるように助言してきました。その結果、普通コンクールでは する事はないであろう曲を選んだりする事もありましたが、それはそれでいいと思います。
指導といっても、基本的に問われるまではあまり口を出さないようにしました。 何といっても自分で考え、試行錯誤し、苦しみ、悩み、そうして一つ一つ自分のものにした 結果として本番を迎える事が、音楽の楽しさ、それも創造する側の立場としての楽しさ、 生み出す喜びを肌でじかに感じることにつながると考えているから。
コンクールという場を選んだのは、本格的なステージで演奏するチャンスになるから、 というだけで、決して賞が欲しい訳ではありません。賞は後からついてきただけだ。

ひとりでも多くの吹奏楽を愛する人が、
本当の音楽に出会える事を祈って。

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