このページの最終更新:1st Nov 1998

クラ吹きを取り巻く問題


クラ吹きの現状

ネットサーフィンなどでいくつかの吹奏楽団の団員募集のページを眺めていて、気づいた事があります。 どこの団体のページをみても、たいてい募集パートにクラリネットが入っているのです。 確かに、吹奏楽をやる上でクラリネットは重要なパートだし、人数がたくさんいるという事は 分かるのですが、中学校であれ高校であれ、学生バンドでもクラリネットは人数が多いはずです。 にも関わらず、クラリネット奏者の募集は続きます。なぜでしょうか。
いくつか理由はあると思いますが、たぶん最大の理由は「クラリネットを続ける人が 少ない」という事にあると思われます。 僕の回りでも、中学・高校時代に一緒にクラリネットを吹いていた人のほとんどが、今は楽器から 離れているのです。これはクラリネット奏者に限ったことではないかも知れません。 しかし僕は、クラリネット奏者にこの傾向が顕著な気がするのです。

このページのはじめへ戻る

クラ吹きが楽器をやめる時

かく言う僕も、高校を卒業した時点でクラリネットから離れようと思っていたし、 大学のバンドを引退した時も、しばらく音楽から離れてみようと思ったものです。 実際にはそうはならなかったけど、自分の経験も踏まえて、どうして楽器から離れていくのか考えてみます。
ひとつは、環境が変化して練習が続けられなかった場合です。 クラリネット場合、今のところ「サイレントブラス」のような消音器がないから、 音がそのまま外に出てしまいます。防音室でもない限り、隣近所に聞こえることになります。 近所の人に理解してもらえなかったら、自宅で練習はできません。 練習をしたくても、場所がなくなってしまうのです。
あるいは、学校や仕事が忙しくて、充分な練習時間を取れない事もあるでしょう。 こういう場合、確かに楽器は続けられないのですが、(本人にその意志があれば) 解決する事は可能だし、再び状況が変わった時にまた楽器を吹くようになると思います。

もうひとつの、重要な事を指摘しておきます。 楽器を練習する時には、たいてい何かの目的があります。 例えば「あの曲を吹きたい」「あの人みたいに吹いてみた」など。 それが実現できたら、その人はとても幸せになるでしょう。 ただ、その実現する過程があまりに困難だと途中で断念するかも知れないし、 仮に達成できても、もう二度と挑戦したくなくなるかも知れません。
楽器を吹くという事は、そんなにやさしい事ではないのは経験者なら誰しも感じているでしょうし、 しかも今の吹奏楽の世界は、それを助長するような状況にあると思うのです。

このページのはじめへ戻る

クラ吹きを殺すもの

世の中には、クラリネットにとっての敵がいくつかあります。
ひとつは、現在の世の中の大多数の編曲者です。 特に、管弦楽曲を吹奏楽用にアレンジする人がそうだと思います。 もし手元にそういう曲の楽譜があるなら、それのクラリネットの楽譜を開いてみてください。 ついでに、もとの管弦楽曲のフルスコアも開いておいてください。
さて、その楽譜をざっとみてみると、たいていどこかに16部音符やそれ以上の連符のパートがあるはずです。 クラ吹きはこれをみると、たいてい「またか」と思い、このパッセージを吹ける様になるまでの 練習を想像してうんざりするものです。
ここでオケスコアを参照して、その楽譜がもとはどのパートだったかを確かめてみてください。 たいていはバイオリンかビオラ、つまりは弦楽器のパートでしょう。
そもそも弦楽器は、連符を弾くのに対して有利な構造になっています。 少なくともクラリネットよりは有利です。 逆にいえば、クラリネットはそれほど連符を吹くのに向いていないという事になります。 にもかかわらず、弦楽器の連符はほぼすべて、クラリネット族かサックス族にそのまま移されているものです。 これほど管楽器をばかにした話はないですよね。 いくら音の質感が弦楽器に近いからといって、そのまま再現できる訳ではないのだから。 そのことですら、技術的に不利な面を乗り越えて初めて語ることができる話なのに。

また「弦楽器と一緒に木管楽器も同じ事を吹いているではないか」という人もいるでしょうが、 そういう前に、オーケストラの演奏でその部分を聞いてみてほしいのです。 木管楽器の声がそんな場面で聞こえるでしょうか?
この話の根本は「なぜオリジナルの楽譜にこだわるのか」という事に関係があります。 もちろんメロディーラインを書き換えてしまっては意味がないのですが、例えば伴奏などの ように他のパターンでも同じような効果が得られる場合、連符にこだわる意味はないと思います。 むしろ、連符を他のパターンに書き換える事で、吹奏楽のよい面を表に出すアレンジにすることができると 思えるのです。その努力が編曲家に求められているのに、オリジナルをそのまま 移す事でお茶を濁している場合が多いのです。それでクラリネット吹きが 幸せになるはずがないじゃないですか。

このページのはじめへ戻る

クラ吹きを殺す指導者

吹奏楽の指導者にも、クラ吹きの将来を殺す人が多いです。 それも熱心な指導者に限ってそうなのです。しかも、本人はそれに気づいていなかったり、 気づいていても軽視してしまう事が多いのです。困ったものですが、 ここでそのことについて述べておくので、今からでも遅くはないからもう一度ふり返ってください。

そもそも楽器を一人前に吹けるようになるまでには、かなりの時間がかかります。 特にクラリネットの場合、音が出てから簡単な練習曲が吹けるようになるまでは、 それほど時間はかからないのに、そこから自分の思いどおりに楽器を吹きこなせるように なるまではかなりの時間が必要です。
この時期のクラ吹きは、それまで目に見えて上達していたのが表面上分からなくなって、 人によってはかなり焦る時でもあるし、人によってはクラリネットに飽きてしまう時でもあります。 つまり、一番微妙で危ない時期なのです。こんな時に指導者が「お前はへただ」「最近上達してないな、 練習してるのか」などと言ってしまったら、そのショックはどれほどのものになるでしょうか。 この時期にクラリネットをやめてしまう原因のほとんどが、これなのです。

また上に述べた連符のように、重要な意味もないところに必要以上にこだわってはいないでしょうか。 音楽にこだわりは大事ですが、こだわるべき場所を履き違えてはいないでしょうか。 たいがいの連符は、音楽の死活問題に直結する事もないし、表現の鍵となる事も少ないです。 クラ吹きはこういう場面では、それでもかなりプレッシャーを受けているのです。 足手まといになるのは困るが、緊張を助長する必要はないでしょう。 ある程度の正確さがあれば、それ以上を望む必要は、普通はあまりないと思います。
さらにいえば、音楽の本質を伝える指導者が少ないと思います。 音楽が今まで姿かたちを変えながらずっと続いてきたのは、音楽をする事でその人が気持ちよくなれる、 あるいは幸せになれる事を、直感的に気づいていたからだと思います。 現代ではちまたに音楽が氾濫し、そういう事を感じる機会が少なくなってきています。 だからこそ、吹奏楽のバンドの中でだけでもそういう事を伝えなければいけないのに、 音楽を無難に作る事だけに固執して、嫌な一面しか伝えていない指導者が多すぎます。 これはコンクールで有名な高校のバンドの出身者の多くが「吹奏楽なんてしんどいだけで面白くない」 という理由で楽器をやめている事からも伺えます。

このページのはじめへ戻る

世の中のクラ吹きへ

クラ吹きの側にも、問題がない訳ではありません。
こういう状況にあるのは分かっているのに、何もしようとしないでただやめていく人が多すぎます。 君たちの音楽に対する情熱はその程度なのですか。今はそうかも知れないですね。 でも初めてクラリネットを手にした時はどうでしたか。楽器を吹くことに憧れていた時はどうでしたか。 もう一度思いだしてみてください。
そして、それを途中であきらめてしまう自分の弱さ、情けなさに気づいてください。
今の日本では、4月に何百人もの人がクラリネットを手にし、次の3月には同じくらいの人が楽器から離れ、 吹き手のいなくなった楽器が押し入れの奥で、永い眠りについています。 学校のバンドを引退するのは、楽器をやめるためではないのです。 自分のやりたいスタイルで、楽器を吹くためなのだ、 そう考えて、もう一度クラリネットに戻る人が一人でも多くなってほしいと思います。

このページのはじめへ戻る